DAYS IN EUROPE   WINTER 1993

旅の始まりは英国・ロンドン。アラブ人の経営するB&Bに1泊した後、ヴィクトリア駅から列車でドーバーへ。が、ドーバー海峡に強烈な突風が吹き荒れておりフェリーは欠航。2日目にして早くもトラブルに巻き込まれた。幸いな事に英語圏なので10名足らずの英国人の方々と仲良くなり、隣の港町から出航するというフランス行き最終フェリーを目指しバスをチャーターして移動。旅ってこの「トラブルなんて何とでもなるさ!」感がたまらなくいい。無事フェリーに乗船し、みんなとビュッフェの夕食を囲む。それにしてもローストビーフはマズかった・・・。
さーて、いよいよフランスだ!パリを目指すぞ!
がしかーし、僕達はフランスの港町カレイからパリへ向かう最終列車に間に合わない事実を僕の持っていたトーマスクック時刻表で知ってしまった(泣。仕方なく灯りも落ち閑散とした寒い寒い駅の待合室で一夜を過ごす事に。写真は夜遅くにLAの彼女に手紙を書いているところ。本当にもの凄く寒かったんだけど仲良くなった方々の中に年配者がいて、ジャンパーやマフラーなどの防寒着は全部貸してあげてたんだ。美人で若い英国人のお姉ちゃんにも貸してあげたかった・・・(笑。いきなりのトラブルを共に過ごしている仲間、国境・人種の壁を越えた思いやりの心で結ばれてました。
翌朝始発の列車にみんなで飛び乗りいざパリへ!あったかいコーヒーを飲みながら楽しく談笑していたら、あっという間にパリへ到着。パリへ着いたらみんなそれぞれの目的へ向けて歩き出す方向が違う。旅の3日目にして別れを経験しなきゃいけないなんてさ、少し寂しくなってしまったけど、ひとりひとりとHUGして地下鉄へ。
ほんと偶然にも一夜を共に過ごした仲間の内のひとり、ウォーレンちゃんと地下鉄を降りた駅が同じだった(笑。このウォーレン、実はファッションモデルを目指す英国人で、日本の六本木の事務所とも契約していた(笑。浅草を知っていた。なんと来日歴あり。
パリコレのオーディションを受けるためにパリの友人宅へ暫く居候するとか言ってた。セーヌ川沿いを身の上話しながら歩いてたら「髪の毛切ってあげるよ」っていきなり。断ってはみたものの何事も受け入れるべしって感じで結局ご覧の通りWARRENに散髪を任せてしまった。バッサリいかれた・・・。変身後の写真は掲載不能ッス。で、なんだかんだ夜も更け、部屋には「APRIL IN PARIS」がしっとりと流れ、ワインやシャンパンでいい気持ちになってきた。家主やその仲間ともすっかり打ち解け、結局一晩世話になる事になりました。その後、巡り巡ってWARRENとはいろんな街で出会う事になったんだよね、不思議と。
パリに居る間はとにかく早起きして散歩。公園でパンをかじって地下鉄に乗っかってひたすら観光したな。初めての街だからとにかく歩いた。エッフェル塔も階段を歩いて登ったな。ルーブルは冬はオフシーズンって事で一部閉鎖して改築工事とかしてたからちゃんと見たけりゃ時期選んだ方がいい。街が綺麗なもんだからどこをとってもロケセットみたいで歩いてるだけで自分が主人公になっちゃってる感じさ。特に裏通りを朝早くにフランスパンを持って歩くだけで気分は最高。裏通りには楽しい事がたくさん転がってた。夜はWARREN達と良くゲイバーで遊んだ。東洋人だからとマイノリティー扱いもなく、逆に珍しがられてモテた(笑。ある意味怖かったけど、そんな時はWARRENに寄り添ってたさ!2週間くらい滞在してバルセロナへ出発!
バルセロナもおもしろかったな。最初に入ったレストランでなんだか怪しい肉を食べて、すっぱいヨーグルトがデザートで、お腹痛くなっちゃった。サグラダファミリアを始めガウディ建築にはシビレた。建築家なんて興味もクソもなかったけど、あんなの小っちゃい頃に見てたら志は変わっていたかもしれんってくらい衝撃を受けた。ピカソ美術館も初期の作品があり、訳がわからんけど長い時間を過ごした。オリンピックスタジアムもこっそり中まで入っちゃったり、そこまで行く途中の地下道で少年二人にからまれちゃったり、日本人のバックパッカーに逆ナンされちゃったりと楽しかった。ユースは綺麗で、2人部屋を1人で使えたので夜は大好きなストリートビーツを大きめの音で流しながら過ごしてた。
それからニースやジェノバを気が向くままに移動しながら一気にローマへ!ciao!当時ヨーロッパ内に唯一友人が住んでた街。駅を出ると小さなバイクで迎えに来てくれてた。LAにいる頃は連絡先すら知らなかったのにヨーロッパに入って連絡先を探し当てるなんて奇跡だよ。パリの街角で公衆電話が繋がった瞬間は飛び上がったさ!5年振りの再会、しかもローマでの再会にその夜は夢中で話したな。翌日は右上の写真にあるようにLAZIO VS JUVENTUSを観戦。発煙筒バリバリでグランド見えやしないって(笑。サポーターの熱さにシビレた。試合前に買っておいたtotoはさっぱり。それからはスペイン階段(ナンパ成功!)・トレビの泉・真実の口・コロッセオ等々、たくさんバイクで走って観光した。途中にはもちろんパスタやエスプレッソを挟みながらさ。
もちろんヴァチカン市国へも。途中、幾度となくジプシーに囲まれながらも本場LAで会得したスラング並べ立てて振り払い(本当はスラングなんて、英語なんてなんの効力もないそうだよ)無事到着。ここも素晴らしいの一言。今まで本やテレビの中の世界でしかなかった作品が目の前にあるんだよ。圧倒される凄さ。もちろん観光客の入れない部屋だってあるんだろうから、そんな部屋は想像つかない程厳粛な空気なんだろうな。タバコなんて厳禁。
左の写真はキリストにちなんでカラダでクロスを表現してみたんですが、まわりの目がほんとに怖くて・・・これが精一杯でしたわ。ただ欲を言えばというか、後悔したのは友達じゃなくてもっとちゃんとしたガイドに説明をしてもらいたかったな・・・。たっぷりとローマを堪能した後、フィレンツェに数日滞在の後、ベネチアへ向けて出発!
夜行列車の待合室で立て続けに日本人に声を掛けられる。男はモロッコで強盗に有り金すべて盗まれたと言い、物乞い。女の子は一緒に旅を続けないかと言い、逆ナン?ただ、そんな気分じゃないんだ、悪いけど。女の子は懲りもせずベネチアまで付いてきたけど、途中で見つけた韓国人バックパッカーを「あの子がお前を気に入ってるぞ」と大いにそそのかしてその気にさせ難を逃れる。ベネチアの小さな街じゃ、何度も見つかりそうになったんだけれどもね。
ベネチアではほんと良く「ciao!」って挨拶したな。ここも冬のシーズンオフで人が少ないから愛想笑いなのか、もともとそうなのか、みんな笑顔。たぶんみんな陽気で気さくな人達なんだろうな。とっても寒かったし、暖をとる場所がなかなか見つからなかったので辛かったけど、やさしい人達に触れることができてほんと良かった。狭い水路が迷路のように張り巡らされた中を船頭がうまくすり抜けてく。水の街だ。シーズン中に訪れれば気持ち良さそうだ。早朝到着して夜行で出発までの丸一日を過ごした。この街では泊まりはなし。夜行の待合室で例の女の子に見つかったのはバツ悪かったッス。さあ、次はドイツに入国だ!
一路ロマンチック街道のローテンブルグを目指し寝台車で出発。駅からはローカルのバスに乗り換えてやっと辿り着いた。寒い。ユースの場所がなかなか見つからずかなり彷徨ったけど、その分街の隅々まで見れたような気がする。童話に出てきそうな風景があちこちにある。
ユースのスタッフはすごく親切だったな。旅を続ける”仲間達”といろいろと情報交換もできた。天気がずっと悪く雪もちらつき寒い日ばかりだったけど、毎日通ったレストランのビーフシチューは最高に美味かった。街を歩くと子供達が雪だるまを作ってベンチの上に乗っけってたり、被った帽子が異常に可愛いかったりでとってもおだやかで優しい気分で過ごせた。その後、ハーメルンやニュールンベルグ等を経由しながらフランクフルトでジャーマンビヤとソーセージを堪能しつつ、メルヘン童話の中にいた日々を思い返し、さらには今回の旅を思い返したりしながらついつい飲みすぎる。一度パリへ帰える事にした。旅はまだまだ続くんだ。
パリでは前にも使ったユースを利用したからスタッフとは顔なじみ。こっそりワインを貰ったり、景色のいい部屋を割り当てたりしてくれた。丸一日はどこへも出掛けずストリートビーツを聞きまくったりもした。夜は相変わらずWARRENとゲイバーへお出掛け。酔っ払って歩く石畳の道が懐かしかった。WARRENはオーディションが終ったのでロンドンへ帰るらしく、そのタイミングでベルリン(旧東ドイツ)へ出発する事にした。
凍りついたような冷たい空気。一種異様な雰囲気。ブランデンブルグ門から旧東ドイツ側へ門を潜る。ただっ広い閑散とした広場の中に露天が数件観光客を待ってる。俺以外どう見ても観光客なんていないのに。まだまだ街が整備されていなくて打ち壊されたベルリンの壁の残骸が転がっているような状態。どこを歩いても常に誰かに見張られているような緊張感。資本主義に変わったとはいえ街からは共産圏の雰囲気しか感じられない。
お腹が空いてもレストランは見つける事ができなかったし、暖をとる場所もなかったな。ここまで旅してきた旧西ドイツに比べると街の発展は当分先になるんだろうな。露天のオヤジさんをからかいつつ、ベルリンの壁の残骸をあしらったお土産を数点購入しちゃった。ベルリンの壁には放射能が含まれて危険だって聞いた事あるんだけどさ。
写真は絵葉書。
ベルリンからもう一度パリへ戻り荷物を整理して次はアムステルダムへ出発。パリを夜中に出発。アムステルダムに翌朝到着。とりあえずユースを目指すもののどこも満室。たらい回しにされた挙句やっと見付けたユースは凄かった!もちろん男女別々の大部屋なんだけどさ、洗面所・シャワー・トイレは共同。廊下の向かいは女の子用の大部屋。男部屋なのに部屋に入ったら女の子もいる・・・。少し談笑した後、荷物を割り当てられたベッドの上に放り投げて街へ繰り出した。プールバーでハイネケンを飲みながら一服。
この街はマリファナが合法って事もあって日本で言うストロー立ての感じでジョイントが並んでいる。凄い。さらに産地別で綺麗にバッツがファイリングされてたりして。「WHY DRINK & DRIVE...WHEN YOU CAN SMOKE & FLY」って・・・。ずいぶん長く遊んだのかなぁ、外はもう暗くなってた。運河の辺を散歩するとブラックライトに照らされる女の子達がぁぁぁ!そう、飾り窓。ドアをノックする事は決してなかったですが、暫く眺めてみたり、からかってみたりで最高に楽しかった。ユースに戻れば戻ったで、俺のベッドに誰か寝てるし。「YOU CAN SLEEP ANYWHERE YOU WANT」だってさ。空いてるベッドでなんて二段ベッドの上しかないーじゃねーかよッ。面倒臭っ。翌朝目が覚めて、シャワー浴びてると女の子が入ってくるし・・・。着替えながら荷物の整理をしていてパスポートと帰りのロンドン→LAのチケットが無くなっている事に気付く。ま、まずいぞ。バッグをひっくり返してもどこにもない。やられた。だけど、どうすりゃいいんだ?とっさに当初割り当てられていたベッドをひっくり返してみたら出てきた。俺が落としたのか、誰かがバッグから取り出したのか・・・わからないけど出てきたからひと安心。ホッとしてまた街へ繰り出した。もちろんパスポートとチケットはポケットに入れて。
とんでもない出来事なんだけど、この街はおもしろい。昼頃起きて夜中まで遊んでって日々が続いた。食事はもっぱらギリシャ料理のギロ。ビーフのみ(笑。それからハイネケン。最高に美味かったので毎日通った。オヤジとも仲良くなってサービスしてもらったり、一緒に飲みにいったり。英語で会話ができたし、パリでは言葉で意外と苦労したから、楽に付き合えた。その後もパリへ戻ったり、ベルギーのブルージュへ行ったりはしたけど、暫くはアムステルダムを中心に過ごし、ついつい予定をオーバーしてしまった。そろそろ今回の旅のハイライトである英国・ロンドンへ行きたくなってきた。久し振りにもう一度ドーバー海峡を渡ろう!
長がかった旅もいよいよラストのロンドン。LAへ帰るまでジャスト2週間。中学生の頃パンクに衝撃を受けて以来憧れ続けていた街。シャワーは温水出ない時だってあるし、メシなんてとても食べれるものじゃなかったけど、一番最初に滞在したアラブ人経営のB&Bに世話になる事に。ロンドンでは毎日出掛けた。公園で一日中ゆっくり過ごす事もあれば、朝一番でフリーマーケットに出掛けたり、MARQUEEでライブを見たり、映画を見たり、レコード店・古着屋・骨董品屋を覗いたり、ほんといろいとした。ロンドン名物の二階建てバスに乗っかってケンジントンのWARRENの自宅にも行った。
1LDKのアパートに3人暮らし。WARRENもゲイなんだけど、ゲイがもう1人とレズが1人の3人暮らし。同居人どうしはまったくの友達で淫らな関係はないらしい。だけど・・・部屋の中を真っ裸で歩くのはちょっとなぁ(汗。俺がご飯食べてようがお構いなし。1泊の予定だったんだけど楽しすぎて3泊もしちゃった。お金がないのは俺も同じ。ご飯は毎日ポテトとビーンズ。3人ともきちんと自分の夢、ビジョンを持っていて、いつかチャンスをモノにしてやるっていう強い気持ちを持っていた。どこの国に生まれようが、どんな言葉をしゃべろうが、夢を持って生きてる仲間がこんなにもたくさんいるんだって嬉しかった。
旅もそろそろ終る。WARRENとの別れ。今後、二度と会うことはないかもしれないけど、出会えたことっていうのは一生消えやしない事実。これからもみんなそれぞれの人生、旅は続いてゆく。ひとつの別れにメソメソなんてしてられやしない。だけど、俺はひとつひとつの出会いや別れに一喜一憂し、「縁」を大切にこれからも生きてゆく。
LAに帰る朝が来た。長かった旅の終わり。LAに帰ったらもうひとつ大学へ行こう。TRYしよう。ヴァージン航空007便に乗り込みロンドンを後にした。


ゆったりとしたテムズ川の流れを見下ろしながらビッグベンは時を刻み続けている。時は刻みつけられ続ける。これからの人生にどんな「縁」が待っているんだろう。


人間はなんて小っぽけな存在なんだろうな。